大工
大工は人間の営みの基本である衣食住の「住」に携わる仕事です。古くは聖徳太子の時代からあった一大工業です。その昔、家は神様が与えてくれたものとして大切に扱われてきました。しかし、現代ではあって当然のものとして、その存在価値が薄れてきています。
大工職人の基本は規矩術です。”さしがね”という直角のものさしを使いこなす技術です。これ一つで掛け算・割算・角度の問題となんでもできます。今はそのままの直角を活かした使い方が主で、若い職人はたくさんある利用法のうち一部しか知りません。昔の職人はさしがね一本で丸いものから六角・八角のものまで作りました。規矩術は大変奥の深い技なのです。
金沢城の築城にも規矩術が使われました。金沢の大工は得意だったようです。関西や関東には地組といって、屋根を組む際に一度地面で組んでみて、良い悪いを見てから分解して建てる方法がとられています。しかし、金沢の職人は建て前一発勝負。図面をしっかり描いて、規矩術を活用してぴたりと合うように良い具合に木を加工して建てる。こんな所にも金沢の大工職人の腕の良さが現れています。
実際、昔の人が規矩術で作った五重塔や寺の屋根を現代の工学博士がさまざな方法で検証した結果、全て適合していました。新しい建物が倒れるような地震にも耐えています。それだけ昔の職人は規矩術をしっかりやっていたのです。
しかし、全ての職人が技を持っていたわけではありません。藩政時代、できるのは棟梁だけでした。技術や城の間取りが他国へもれる心配があったからです。下働きの者は棟梁が計算して付けた木の印を合わせていく、という作業を行うだけでした。
さらに昔の棟梁は基本の上に勉強を重ね、形を変え、こうすれば長持ちする、仕上がりはこうなるなどと工夫を凝らしていきました。経験を積むごとに良くなっていく、それが職人の技でした。
このように何百年と受け継がれてきた技が、この方法でこれだけの年数持つものができる、と言い切ることのできる自信につながっています。今の家は時代に合った新しい材料、新しい方法で腐ったら取り替えれば良いという考えが多いようです。
職人大学校では昔からの材料で健康で快適な、そして安心して住める建物を作るための基本となる技を教えています。