石工
金沢には昔から、戸室石や各種軟石の産地でしたが石工職人があまりいませんでした。このため金沢城の構築時には近江の国(滋賀県)の石工職人を呼んで築城したそうです。その時の石工(アノウ)の人たちが金沢の石工職人の元となったそうです。
石工職人は石材に関した工事一式を行います。
扱う石は硬石、軟石、間知石(けんちいし)で、それぞれ用途が違います。硬石は建物の床貼・壁面貼・モニュメント・墓石に用いられ、軟石は石塀・建物基礎に使われます。間知石は用水路・護岸工事・城壁石積・花壇石積に用いられます。
金沢で使用されている間知石は富山県の常願寺川から出る石で、長町の武家屋敷の土塀や用水に利用されています。間知石を使った「間知積」は、でこぼこの切り口をパズルのように組み合わせて並べる積み方です。
この味のある切り口を生み出すのが職人の手です。
このため、「間知積」は今でも石割りから全て手作業で行います。側面の石は丸く、角にくる隅石は直角にするなど積む場所によって形を変えます。
しかし、若い職人はこの技を知りません。職人大学校では石工の世界に入ったときから機械に慣れ親しんだ若い職人に、道具作りから手作業の技までを教えています。
現在の道具は先がタンガロイで、減ればグラインダーで削りおろすだけという簡単なものになっています。しかし、昔は鋼でした。
職人大学校ではまずこの鋼の道具を作るところから始めます。
ふいご(風を送って火をおこすもの)で火入れし、赤くなったところを叩き出して先を尖らせ、水に入れて焼入れます。焼きが強いと欠けてしまうので、その手加減を覚えなければなりません。「道具焼きの一人前になるのと手でこつこつと石仕事をするのとで一人前になるのはよく似たもの」と言われるほど道具焼きは難しいものでした。
良い職人の道具はきちんと丁寧に手入れされているので、道具を見ればその職人の腕がわかりました。
道具ができれば次はそれを使いこなせなければなりません。
ホテルの床や壁面などには綺麗に磨いた石を貼り、外の通路には滑らないように表面を荒くした石を貼ります。
現在はバーナーで石の表面を焼いて荒立たせますが、昔はビシャンという三角の突起がたくさん付いた金槌のような道具を使って、叩いてでこぼこにしていました。ビシャンを使うとバーナーでは作り出せない微妙な強弱が表現できます。
家を建てる時には整形した薄い石をコンクリートの下地の上に貼ると見栄えが良くなります。石には自然の色や模様があるのでそれを上手に活かします。また、柱の下に石を敷いて地面の水分で柱が腐るのを防ぎます。
職人大学校では、藩政時代から金沢に根づいてきた職人の高度な技術を残すべく研修を行っています。